住まいと設備・浴室

浴室・浴槽の歴史

古来より人類は水と関わりの深い生活を送り、水を畏れ敬い、時に神格化してきました。
古代神話に登場するネレイデス、アフロディーテ、アルテミス、エゲリアは水に関係する神々です。
水には儀式的な要素があり、入浴を通じて心身を清める効果があると言われてきました。
入浴の歴史は全国各地で一進一退を繰り返して現在に至りますが、宗教、衛生、社交、地域性が密接に関連しています。

浴室・浴槽の歴史をさかのぼると紀元前1800年にはミノス人が浴槽を使って入浴しています。
ミノス文明は紀元前2600年~1400年頃にかけてクレタ島で栄えた文明で、エーゲ文明の前半部分に該当します。
ミノス人の作った浴槽は素焼きの陶器で配管設備も整っていたことから、温水、冷水を出す仕組みが既に発明されていたと推測されています。
パキスタンのモヘンジョダロ、エジプトのテル・エル・アマルナでも個人風呂が設置され、配管設備や簡易のシャワーを利用した入浴が行われていました。
ギリシャやローマでは共同浴場を主体とした入浴文化が発展しましたが、裕福な個人宅には浴室とシャワーが設置されていたようです。
現在のような自動設備の整備は難しく、ギリシャでは屋根から滴る水を浴びたり、奴隷に湯をかけさせることで入浴をしていた記録が残っています。

個人風呂の発達は社交的浴場のタブー視、衛生環境の確立がきっかけとなっていることがほとんどです。
独立した浴室・浴槽の登場は中世~近代以降になります。
ヨーロッパでは16世紀にラ・ドーシャと呼ばれるシャワーが登場しました。

18世紀には貴族の間で個人風呂の設置が流行ります。
入浴には積極的でなかったため、虚飾的要素が強くインテリアとして機能していました。
フランスではサボティエールという木靴の形をした浴槽が登場します。
アメリカでも1815年に浴槽がホワイトハウスに設置されました。
国会議事堂にはイタリア製の大理石で作られた浴槽が置かれます。
ホワイトハウスの浴槽は議員が実際に利用したことで話題になりました。

19世紀中頃のアメリカでは、安息日(日曜日)を迎える準備として「土曜の夜の入浴」が流行します。
個人風呂は全国で徐々に増加し始めました。
いつでも温水のお風呂に入れるように水の加熱装置や湯沸かし器の開発が進みますが、事故が多く設備は不十分なものでした。
19世紀末になると安定した供給設備が整います。
1906年にパリのリッツホテルで浴室を客室に設置することに成功します。
日本で浴室・浴槽設備が一般家庭に普及するのは戦後のことになりますが、世界規模でも近代的な浴室・浴槽設備は100年強の歴史となります。
日本では浴室に浴槽とシャワーが設置されていますが、世界的にはシャワーを浴びる人が多く、入浴の頻度は少なめです。
海外で香水文化が普及し、強めの香りが好まれるのもそのためです。
浴槽自体を設置していない国、地域もあります。
最近では日本でもシャワーでお風呂を済ます人が増加しています。

公衆浴場の歴史

浴室・浴槽の歴史に合わせて公衆浴場の歴史にも触れましょう。
公衆浴場文化は古代ギリシャ、ローマを中心に栄えました。
古代ギリシャでは世界初の公衆浴場が作られました。
水は神聖な存在で人々の心身を浄化する作用があると言い伝えられ、戦や鍛錬の後に汗と汚れを洗い流す場として利用されました。
紀元前5世紀には男女別の浴場が設けられます。

古代ギリシャにはパラエストラという体育訓練場があり、訓練後に浴場に立ち寄ることが習慣化していました。
映画のテルマエ・ロマエでお馴染みの古代ローマも公衆浴場が栄えた都市の一つです。
ギリシャと同様に入浴をすることで健康増進、心身の浄化効果が期待されました。
ローマの浴場は社交・娯楽の場としても機能し、文化の発展に寄与します。
紀元前33年にはローマ軍人・政治家であるアグリッパが神殿を併設した大浴場の建設に取り掛かります。
水道橋の建設も行われ、テルマエや銭湯、噴水地に水を供給することが可能となりました。
ローマではディオクレティアヌス帝、カラカラ帝も大浴場を設けたことで有名です。
入浴は生活の重要な部分を占めていたことから、浴場の建設は権力の現れと市民の信頼を勝ち取る証とされました。
ローマはヨーロッパ内を遠征し、勢力を広めるとともにローマ式の浴場を征服先にも建設します。
イギリスのバースを始め各大都市に造られました。

浴場は主にローマ兵が戦闘の疲れと傷を癒すために利用していました。
ヨーロッパではローマの侵攻で浴場が広まりますが、5世紀頃には公衆浴場の文化が廃れていました。
イスラム圏ではハマームと呼ばれる公衆浴場が利用されていました。
静止と休息の場であるハマームは古代ローマのテルマエとは対照的で宗教的かつ社会的な場所として機能しました。
再び公衆浴場がブームになるのは中世以降です。
十字軍の遠征後、イスラムの共同浴場ハマームが広まります。
入浴は骨折、ケガを治す効果があり、万病に効くと言われていました。

当時の浴場は混浴で娯楽の場としても親しまれていました。
後に公衆浴場は道徳的に退廃し、病の流行で打撃を受けます。
16世紀にはコレラ、ペストが流行し、人口が密集する公衆浴場の衛生環境が悪化しました。
結果的に入浴すること自体が控えられるようになります。
17~18世紀頃に一時的にフランスで蒸気風呂が流行りましたが、長くは続きませんでした。
水道設備が不十分であったため、衛生環境が整わなかったことが大きく起因しています。
汚水が流れ出しているヨーロッパの街中を歩くためにハイヒールが登場したのは有名な話です。
入浴する習慣が復活するのは上下水道が完備されてからのことでした。

島国である日本は他国と異なった入浴文化が形成されました。
仏教伝来以降の入浴は宗教的で蒸気を浴びる蒸し風呂が主体でした。
蒸し風呂は半蒸気風呂へと形を変え、戸棚風呂、据風呂、柘榴風呂などが登場しました。
お湯をはった銭湯が一般的に利用されるようになるのは江戸時代のことです。
当時の銭湯は湯の中で体を洗い、浴槽内にタオルや手ぬぐいを持ち込むことが許されていたので不衛生なものでした。
明治時代に入ると湯気抜きのついたタイル張りの現在と変わらない銭湯が開かれるようになります。

浴室の設備

浴室・浴槽、公衆浴場の歴史を振り返ってきましたが、入浴文化は、宗教、衛生、社交、地域性の影響を大きく受けてきたことが分かります。
浴室の設備は素焼きの陶器、木、大理石など身近な天然素材を使って製作されてきましたが、供給設備が整い始める19世紀末までは安定した入浴環境と個人風呂の普及を維持することが困難でした。
近代以降の浴室の設備に注目すると1880年に鋳鉄製の浴槽が作られるようになりました。
1910年にはホーロー製の浴槽が登場し、浴槽の形状も次第に底が平らなものへと移り変わります。

日本で個人風呂が普及したのは戦後のことです。
個人宅の浴槽設備はガス、電気を利用した湯沸かし器、湯船、シャワーがセットになっています。
公衆浴場である銭湯は年々数が減ってきていますが、浴室設備・環境も大きく変わってきています。
浴室設備の管理は厳重に行われ、旅館業法や条例に基づいた営業を義務付けられています。
脱衣所、浴室の掃除と浴槽、ろ過器、貯水槽の清掃が定期的に行われ清潔です。
水質管理も徹底され、レジオネラ菌の有無、塩素濃度などがチェックされています。
銭湯はお風呂の種類も増え、サウナやプール、エステなどの娯楽要素も入り、入浴以外の楽しみも加わりつつあります。

これからの浴室と設備

現在は入浴が習慣化し、入浴設備も整っているので毎日お風呂に入ることができますが、個人風呂が普及するまでの道のりは長いものでした。
日本は入浴好きな人が多いと言われています。
頻繁にお風呂に入っていても休日に銭湯や温泉へ向かう人は少なくありません。
複数人で雑談を交えながら入浴したり、広い湯舟につかることは個人風呂では実現できません。
時代の流れに合わせて銭湯、温泉の機能性も増えていますが、公衆浴場は日本の良き伝統文化です。
個人風呂は心身を清潔に保つために使っていますが、入浴時間をより充実したものにできるように浴室設備機能が年々向上しています。

戸建て住宅ではオーダーメイドのバスシステムを取り入れることができます。
浴室の広さ、浴槽の材質・大きさなどを好みに合わせて設計できるようになりました。
個人宅でジェットバスを取り入れることも可能です。
入浴時間をより楽しめるように浴室内蔵テレビや音楽プレーヤーも登場しています。
これからの浴室は心身を満たす快適空間として機能することが求められるでしょう。