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建築協定について

建築協定とは

建築協定とは、街の環境を保全するために建築基準法の制限よりさらに厳しい基準が定められたものです。
建築基準法第69条には「市町村は、その区域の一部について、住宅地としての環境又は商店街としての利便を高度に維持増進する等建築物の利用を増進し、
かつ、土地の環境を改善するために必要と認める場合においては、土地の所有者及び借地権を有するものが当該土地について一定の区域を定め、
その区域内における建築物の敷地、位置、構造、用途、形態、意匠又は建築設備に関する基準についての協定を締結することができる旨を、条例で定めることができる。」
という内容が規定されています。

建築基準法は全国を対象に一般的で最低限度の基準を定めたものですが、建築協定の場合はさらに良好なまちづくりを目指して、
地域住民が自発的にルールを決めてお互いに守るように制度化したものです。
建築協定で決めることは、建築物の制限、協定が及ぶ区域、有効期限、建築協定違反があった場合の措置です。
建築協定を制定するには、準備委員会を発足し、土地の所有者等の住民が協定の内容に合意した上で認可申請書類を市町村などの自治体に提出します。
そして、認可申請が受理されたら、書類の縦覧・公聴会の公告が行われて、公述人選定をして公聴会が開かれます。
公聴会では建築協定の認可について直接意見を聴取し、その後特定行政庁の認可を受けて成立します。
建築協定は申請から認可まで数カ月ほどかかります。
また、協定の内容を更新する場合も同じ手順で行われます。

町並みを整える

建築協定があると建築基準法よりも厳しい制限が加わることになります。
敷地、位置、構造、用途、形態、意匠について基準を定めることで、町並みや住環境を整え、住みよいまちづくりをすることができます。
地域の課題や目標に応じて項目を細かく決めるため内容は様々ですが、それぞれの項目の具体例を挙げてみます。

敷地
敷地の最低面積、分割の禁止など
土地が細分化されると建物が密集してしまいます。
無秩序にスプロール化する開発が行われるのを防止し、プライバシーの保護、防災にもつながります。
位置
敷地境界線からの壁面後退など
プライバシーや日照権の保護になります。
構造
建築物の素材、耐火性など
火事、地震などの災害時に被害が広がらずに済みます。
用途
住居専用住宅に限るなど
用途を指定することによって住環境を整え、地域に調和したまちづくりができます。
形態
高さの制限、建ぺい率など
高い建物で断つことで陽当たりが悪くなったり、圧迫感が出てしまうことを予防できます。
意匠
建物の色、屋根の形状など
統一感がある町並みになります。
建築設備
水洗トイレにする、アマチュア無線アンテナの禁止など
町並みの景観や環境に配慮できます。

これらはほんの一例になりますが、地域の実情に即した協定内容が定められます。
厳しすぎると合意を得にくくなりますが、地域住民が主体となって建築協定を決めるとやりがいがあり、
実際に住んでいるからこそ必要なルールを真剣に考えることができます。
住民で意見を出し合って決めた協定を互いに守ることで、町並みを整えることにつながります。

町並みを整えてきた歴史(街道)

街道は場所と場所をつなぐ交通路として発達してきました。
人が道を行き交い、物資が運ばれるのは今も昔も変わりません。
日本の歴史上、交通路が整備され始めたのは、飛鳥時代の頃です。
天皇を中心とする統一政権の誕生により、地域間での交流が生まれました。
日本最古の官道である竹内街道や山辺の道、長尾街道が整備されました。
大化の改新後は律令制度が実施され、京の都を中心に各地方の国府を結ぶ五畿七道ができました。
中世に入ると仏教信仰が盛んとなり、寺院が数多く建立されて、寺院への交通路も整備されました。
鎌倉時代に入ると鎌倉にも政権が置かれ、それまで政権が一極化していた京と鎌倉を結ぶ通路が必要となり、鎌倉街道が整備されて宿が経済の中心地に発展しました。
室町時代も鎌倉時代と同様に街道は流通が盛んで都市として栄えました。

江戸時代になると、幕府が直接管理する五街道が整備されました。
政治色もありましたが、物品の運搬や流通のほか、一般庶民が旅行、観光などでも利用するようになりました。
そのため、街道には並木が植えられて美化が進み、街並みが整えられました。
近代以降になると国道や高速道路、鉄道が整備されるようになり、現在に至ります。
旧街道はその時代の統治機構や通路として機能するだけでなく、歴史上重要になった拠点でもあり、地域の文化や景観を形成する役割を担ってきました。

景観、街並みを意識して

建築協定には自然や歴史的な町並みを残したり、統一的な景観が保たれるほか、地域の特性を活かして観光客が増えるなどといったメリットがあります。
歴史的な街並みの保全、整備は行政が主体となって活動しても、その効果は十分ではありません。
住民がまちづくりに積極的に参加し、行政と一体となって協働することが大切です。
建築協定には有効期限があり、地域のあり方や環境の変化に応じて協定内容を見直すことができます。
有効期限は自由に定めることができますが、長すぎると状況の変化に対応できず、短すぎても協定の内容を活かすことができないため、有効期限は適度な期間を設けることが必要です。

京都市では有効期限を10年にしている地域が多く、自動更新したり、改定を行ったりしています。
建築協定を通じてまちづくりに参加することは、地域の歴史、特性を理解することや活性化にもつながります。
将来的には次世代に地域の景観、街並みが継承されることが期待されるでしょう。

京の茶の文化

茶の由来、歴史

お茶は身近に和を感じることができる、昔からの伝統的な日本文化の一つです。
お茶は海外からの旅行者にもグリーンティーの名称で人気があります。
しかし、喫茶は元々は日本古来の文化ではありません。
お茶は中国から伝わり飲まれるようになりました。

紀元前2700年頃に神農と呼ばれる農業の祖がお茶の葉を食べていたことが中国のお茶の起源です。
日本にお茶がもたらされたのは奈良・平安時代で、中国の先行した制度・文化を学ぶために送られた遣唐使や留学僧が日本にお茶を飲む習慣を持ち帰りました。
平安初期の「日本後記」に日本で初めてお茶に関する記述が残っていて、当時お茶は僧侶、貴族階級にしか飲めない貴重品でした。
その後、お茶を日本に知らしめたのが栄西という僧侶です。
栄西は禅宗の一派である臨済宗の開祖で、禅宗を学ぶために宋に二度渡りました。
禅宗はお茶と密接な関わりがあり、禅院で飲茶する習慣があります。
栄西が修行地の中国天台山の近くの茶所・杭州の龍井茶(ロンジン茶)の木を持ち帰り高山寺に植えたと伝えられています。
また、栄西が記した「喫茶養生記」には、「茶は末代養生の仙薬なり、人倫英齢の妙術なり」と記されていて、
お茶の苦みは心臓に良く、お茶は長寿の薬とも考えられていました。
禅宗の宗教的な部分と合わせて、お茶には健康面での効能があることが伝わり、お茶が注目されるようになりました。

そして、京都にある寺院を中心にお茶が広まることになります。
鎌倉末期から南北朝時代には伊勢、伊賀、駿河、武蔵にもお茶が流入しました。
また、南北朝時代になると、お茶を飲み比べて産地を当てる闘茶が行われるようになり、お茶は室町時代、安土桃山時代以降も引き継がれます。
15世紀になると村田珠光の「侘茶」、千利休の「茶の湯」が浸透し、日本らしいお茶の在り方が形成されました。
茶の湯は京都を中心に発展しましたが、その後新興の都市である堺へも広まり、経済活動と密接に結びつくようになりました。
江戸時代になると、茶の湯は儀礼的な要素を持ち、武家社会には欠かせない存在となりました。
織田信長や名だたる戦国武将らもお茶を愛飲するようになります。
このあたりから一般庶民にもお茶が浸透し始めます。

京の茶どころと歴史

京の茶どころといえば、栂尾(とがのお)と宇治が有名です。
栂尾は日本最古の茶園が開かれた場所と言われています。
栂尾は川霧が深くお茶栽培に最適な地で、良質なお茶が取れました。
そのことから栂尾のお茶は「本茶」と呼ばれています。
ちなみに京都のお茶どころははじめに挙げた宇治のほかに、仁和寺、醍醐、茶室、般若寺、神尾寺があり、栂尾に次ぐ産地とされました。
当時天下一のお茶は栂尾のお茶で、その他のお茶は「非茶」と呼ばれていました。

さて、もう一つの京の茶どころである宇治は水はけが良く、南向きの斜面という地理的な条件が整い、交通の便が良い立地です。
菜種油の粕などを用いた良質な肥料が手に入ることもあり、13世紀ごろから宇治は急速に発展しました。
宇治では「覆下栽培」と呼ばれる独自の製法でお茶を栽培し、お茶の木に日光が直接当たらないように葦や藁で覆いをかぶせて、旨みのあるお茶を作りました。
非茶として扱われてきた宇治茶ですが、八代将軍足利義政の代になり、宇治茶が天下一のお茶と称されるようになります。
毎年10月になると、京でお茶に深いかかわりがある千利休、栄西、明恵上人を讃え、宇治茶の隆盛を願う宇治茶まつりが行われています。

喫茶の文化(高山寺、建仁寺と栄西)

お茶が広まるきっかけとなった栄西は1205年に建仁寺を建立しました。
「茶祖」とも呼ばれる栄西は、禅宗の一派である臨済宗の教えを広めます。
その禅宗には「喫茶去」という言葉があり、この言葉には「お茶をどうぞ召し上がれ」という意味があります。
禅宗のお寺では身分や性別、年齢などに関係なくお寺に訪れる人々にお茶を出し、無分別の境地の悟りを説きました。
当時、栄西と親交があった華厳宗の僧侶、明恵上人は栄西から禅の教えを受けていました。

この明恵上人は、1206年に後鳥羽院から栂尾の地を賜り、現在世界文化遺産になっている高山寺を開いた人です。
明恵上人は栄西の影響を受けて日本で最古の茶園を開き、茶を奨励しました。
その後禅宗寺院を中心に京都に茶園が広まりました。
京の茶どころでもある宇治に茶園を開いたのも明恵上人です。
また、栄西は抹茶法を招来して将軍源実朝にお茶を出したことも全国に喫茶が広まったきっかけとなっています。
現在でも茶祖栄西の誕生日4月20日になると建仁寺では「四頭の茶会」が開かれます。

茶の文化と建築

日本でお茶が広まり、一般的な場でお茶がふるまわれるようになったのは室町時代のことでした。
当時は「会所」と呼ばれる連歌の会などが催される交友の場で嗜まれていました。
その後、茶事の主催者が客を招き、お茶を出すための場として茶室が設けられました。
茶室は大きく分けて書院風と草庵風があります。
書院風は格式高く、荘厳な造りで座敷、床の間、違い棚、付書院、帳台構えが備わっています。
茶人たちには形式だった書院造の意匠があまり好まれませんでした。
草庵風は書院造の在り方を極力取り入れず、簡素で慎ましい造りです。
竹や土壁などを用いた素朴で狭い空間で、しっかりと亭主と客が向きあえるようになっています。
千利休、古田織部、小堀遠州などもそれぞれ茶室を造りましたが、統一性はなく多様な造りになっています。

茶の文化は住宅建築にも影響を与え、茶室風という意味をもつ数寄屋造りと呼ばれる様式が生まれました。
数寄屋とは和歌、茶の湯、生け花などを嗜む場のことです。
華美な装飾を好まず、質素で洗練された茶人の精神性が強く現れ出た造りになっています。

京の神社仏閣

京の神社仏閣の数

日本には約8万の仏閣があると言われています。
なかでも京都は神社仏閣が有名で、観光をするなら必ずと言っていいぐらいコースの中に入ります。
京都市内には1700以上もの仏閣があります。
京都には公園が少ないので、神社仏閣が公園のような役割を果たしている面もあります。

京の神社仏閣と歴史

京都にお寺が増え始めたのは、794年に遷都されたことがきっかけでした。
美味しい名水、地酒でも有名な京都は、水が綺麗で居住するのに適していています。
さらに交通の便も良い立地なので、人が自然と集まる場所でもあります。

京都は政治、思想、学問、文化のあらゆる拠点となり、富が集中する恩恵もあることから、お寺を建てやすい環境に恵まれました。
こうした背景から権力を持つ公家が京都に移り住むことになりました。
ちょうど仏教思想が広まっていた時期で、公家たちは競い合うようにお寺を建て、お寺は権力の象徴ともされました。
さらに平安時代の後期から鎌倉時代にかけて「末法思想」が浸透したことで拍車がかかり、お寺の数は増えます。
末法思想とは、釈迦が亡くなってから2000年後に仏法の力が衰えて世が乱れるという考え方です。
ちょうどその頃藤原氏の力が衰え、武士が台頭して治安が乱れていた時期に重なりました。
世の中は混乱状態にあり、不安から逃れるためにも人々は藁にもにすがる思いで浄土信仰に救いを求め、お寺が増えることになりました。
このようにして京都には多くの神社仏閣が建てられました。

京の神社仏閣と寺宝や催し

「寺宝」とはお寺に代々伝わる宝物です。
仏像や書物、仏具、日本絵画のほか、金や銀の椀、水晶、琥珀、瑪瑙、刀、銅銭、鏡などがあります。
中には国宝や重要文化財に指定されるものもあり、神社によっては常時展示されていたり、期間を定めて展示を実施するところもあります。

京都の神社仏閣といえばお祭りなどの催し物も見どころです。
神社仏閣の数は多く、そのルーツや歴史、祀っている神様も異なるので、お祭りは神社によって様々です。
たくさんある催し物の中で有名な三大祭りである葵祭、祇園祭、時代祭をご紹介します。

葵祭(上賀茂神社、下鴨神社)
毎年5月15日に催される1400年以上の歴史を持つ由緒ある伝統的なお祭りです。
祭りの名前の由来ともなっている葵の花を飾り、平安装束を着た数百人規模の祭礼行列がおこなわれます。
この行列は王朝絵巻を再現したものと言われています。
同日には社頭の儀、本殿祭、山駆けもおこなわれます。
その前後にも行事が行われ、5月5日に賀茂競馬、5月12日に御蔭祭、御阿礼神事が催されます。
祇園祭(八坂神社)
京都の夏の風物詩と言えば祇園祭です。
7月から1ヶ月ほどかけて様々な行事がおこなわれ、山鉾巡行が見どころです。
山鉾巡業は神輿渡御に先立って朝から昼過ぎにかけておこなわれ、華麗な美術工芸品で装飾された山鉾が都大路を巡ります。
その様は「動く美術館」とも呼ばれています。
時代祭(平安神宮)
三大祭りの中で一番新しいお祭りです。
10月下旬に催され、平安遷都1100年の記念事業として始まりました。
延暦・藤原・鎌倉・吉野・室町・安土桃山・江戸・明治の8つの時代、20の列で行列をおこないます。
行列には京都府知事、京都市長も名誉奉行として参加し、京都市民が主体となった大規模なお祭りです。
衣装や道具は当時を再現したもので、京都の伝統工芸や技術も活かされています。

京の神社仏閣と四季を楽しむ(新緑、紅葉等自然の宝庫)

京都は四季折々の風情を肌で感じ楽しむことができます。
特に寺社仏閣には広い庭園などがあり、様々な花が1年を通して咲き誇ります。
春は新緑が芽吹き、桜が満開になる季節で、花が舞う情景は奥ゆかしさがあります。
桜以外にもサツキ、藤、山吹、牡丹、菖蒲などの花も咲きます。
夏は梅雨で雨が多くなり、物憂げな季節ですが、一方では静けさのある京都も趣深く感じられます。
この時期は睡蓮、半夏生、沙羅双樹、桔梗、百日紅、紫陽が見どころです。
秋は葉が色づき紅葉を楽しめる季節です。
紅葉の絶景スポットの東福寺では、本堂と開山堂をつなぐ通天橋を渡ると、洗玉潤と呼ばれる橋の下の渓谷一面が紅葉で埋め尽くされる情景に立ち会うことができます。
紅葉以外にも萩、紫式部、嵯峨菊、秋明菊、秋海棠などの花が見られます。

寒さが厳しくなる冬は花が少なくなりますが、ろう梅、馬酔木が可愛らしい花を咲かせます。
雪景色の日の京都も格別で、厳かな美しさを堪能できます。
1年を通して自然が溢れる京都ですが、四季の中でも桜の季節と紅葉の季節は特に国内外問わず多くの人が訪れます。

民芸について

民芸の始まり

「民芸」という言葉を聞かれたことはありますでしょうか。
「民芸」は「民衆的工芸」の略称で、その始まりは今から90年以上前に遡ります。
1920年半ばの大正時代、工芸の世界では華美で煌びやかな装飾が主流でした。
ところがそうした装飾品は高価であり、外形上の美しさはあるものの、実用性がなく、富裕層である一部の人たちだけの嗜好品とされていました。
そこで、柳宗悦・河合寛次郎・濱田庄司らが中心となって、名の知れない職人が作り出した日常的な生活用品を「民芸」と呼び、
地域の風土に根差した文化、一般大衆の生活に親しみのある手仕事にこそ美しさがあると提唱しました。
伝統を重んじ、歴史で培ってきた叡智と土地が育んだ自然にこそ、健康的な美が生まれるという発想です。
民芸を広める活動を民芸運動と呼び、後に濱田庄司は人間国宝に認定され、数々の民芸品は重要文化財などにも認定されました。
このように民芸は工芸史上の歴史に大きな影響を与えています。

民芸品とは(民芸品と呼ばれるもの 陶器、生活雑貨、家具、織物、建築)

先ほどお話した民芸ですが、あまり民芸品に馴染みがないように思われるかもしれません。
しかし、民芸品は私たちの暮らしと関わりが深く、いたって平凡な存在です。

民芸品の特徴は、

  • 実用的であること
  • 大量生産できること
  • 廉価であること
  • 地域性が高いこと
  • 個を重んじず無名であること
  • 伝統的であること

などが挙げられます。

民芸は陶器、生活雑貨、家具、織物などに取り入れられいます。
具体的には箪笥、こけし、赤ベコ、うちわ、下駄、筆、手ぬぐい、竹細工、和紙、人形、刃物、和楽器、漆器、ろうそく、
仏具など挙げるとキリがないほどたくさんの民芸品があります。
お住まいの地域やゆかりのある場所の民芸品を調べてみると面白いもので、京都では風呂敷、染め物、清水焼などが有名です。
民芸はこのような生活用品、雑貨以外に建築にも取り入れられています。

民芸館(各地の民芸館)

民芸は各地の風土に根差していることから、地域折々の伝統、工芸、文化が存在します。
日本に限らずどこの国でも民芸品は作られていますが、島国である日本は閉鎖的な地形であるため、独自色の強い文化が発達しています。
全国各地には民芸館があり、民芸の歴史・世界に触れることができます。

北は北海道から南は九州まで民芸館があり、関西地方には大阪民芸館、京都民芸資料館があります。
その他に河井寛次郎記念館、アサヒビール大山崎山荘美術館、丹波美術館などでも民芸品が展示されています。
京都民芸資料館には約1500点もの収蔵品があり、近畿地方やアジア各地の陶芸品、染織物、木工品などを見る事ができます。
同じく京都市内にある河井寛次郎記念館は河井寛次郎が実際に住んでいた佇まいが見どころで、建物や館内の調度品にも当時の様子がよく表れています。
竹製の家具や、色調がそろえられた木製の机と椅子、木彫りの像などはシックでノスタルジーを感じさせ、格調高いです。

民芸と建築

民芸は建築にも大きな影響を与えました。
先ほど挙げた「河井寛次郎記念館」の施主である河井寛次郎は、棟梁の父と大工の兄を持ち、陶芸家でありながら民芸運動を機に建築に携わりました。
河井寛次郎の建築は伝統的な民家の平面設計、周囲への景観を配慮した外観デザインが特徴的です。
大きな吹き抜け、囲炉裏を設け、地域性の高い郷里の建築様式を取り入れたり、古色仕上げを行う点でも意匠を感じられます。
又、李朝の陶器や家具に民芸の美を見出したというところから、建物の床にも「朝鮮張り」という床の張り方がなされています。
民芸が取り入れられた建築物は他に「濱田庄司邸」「日本民芸館」「倉敷民芸館」「三国荘」「高林兵衛邸」などがあります。
日本の建築は本来、木、藁、土、竹、石など、どこにでもある身近な自然素材が使われてきました。
木材には乾気、湿気に応じた伸縮性があり、四季のある日本の暮らしに順応した欠かせない存在です。
現在は耐震基準などの問題から、土壁が使われなくなり、便利な鉄筋コンクリートを用いたり、合成木材、人工木材などの工業製品も増えてきました。
しかしながら、今でも民芸を取り入れた建築物は人気があります。
国産の天然木材を使用し、和紙、白壁を取り入れた昔ながらの建築デザインで新築したり、既存の建築物をリノベーションすることもあります。

民芸を取り入れた建築は日本の風土や素材が活かされた用の美が魅力的です。

アンティーク家具について

アンティークとは

まずアンティーク(An-tique)とは古美術や骨董品、古いものを指す言葉です。
唯一の物という語源からきています。
似たような意味合いの言葉にヴィンテージ、レトロというのもあります。
一般的にアンティークは、100年以上の歳月を経たものをさします。
単に古いというだけでなく木を手掘りして模様をつけたり、一筆一筆絵付けをおこなった手作業で作られるものもあり、美術的で審美性の高いものが多いです。
年代の特定が難しいものが一般的ですが、例えばイギリスのアンティークの一部にはレジストリ―マークと呼ばれるダイヤモンド型の印やナンバーがついています。
つまり王室御用達など身分証明のできるものです。
アンティークは同じ品でも長い年数を経て使用具合が異なるため、風合いが同じものはなく、1点もので稀少性が高いもの
です。

ヴィンテージとは

一方ヴィンテージとはフランス語の「vendange」が語源で、元々はワインが瓶詰された年代を表す言葉でした。
「名品」、「稀少性」といった意味合いも持ちます。
英語でのヴィンテージは「年代」を意味し、主に100年未満のものを指します。
これがアンティークとの違いです。

アンティーク家具の種類

アンティーク家具には現在でも使われている通常の一般家具の役割を持つものから、今では作られていないものまでたくさんあります。
大きく分けて、テーブル・チェア(ソファー)、収納に分類できます。

テーブル、チェア
テーブルは食事で使うダイニングテーブルをはじめ、小型のオケージョンテーブル、
コーヒーテーブル、サイドテーブル、コンソールテーブル、ネストテーブルなどがあります。
チェア、ソファーは木製のシンプルなものから、材質や装飾にこだわった艶やかなものがあります。
嗜好性の高いものは鳥の羽をつかったクッション性のある椅子、革張りのソファー、背や脚に彫刻が施されているものなど、芸術性に優れています。
アンティークのテーブル、チェアは一目見てその風合い、荘厳さと美しさに思わず息を呑みます。

収納家具はたくさん種類があり、聞き慣れない名前の家具もあります。
いくつかご紹介します。

チェスト
最も古い収納家具で、箱型の引き出しつきの家具を指します。
今でいう整理箪笥のことです。
ライティングビューロー
チェストに書き机をつけ加えたものです。
17世紀後半に読み書きできる人が増え、上流階級向けに作られました。
カップボード
16世紀後半に銀器や磁器を飾るために宮廷用家具として作られました。
ドレッサーとも呼ばれています。
現在はディスプレイ用の家具として使われます。
ガラスキャビネット
キャビネットは貴重品を飾り、収納する機能を持つ家具です。
ガラスキャビネットの場合、全面・側面がガラス張りになっていて、陶磁器を飾るために使われることが一般的です。
サイドボード
ダイニングルームに置かれ、18世紀のイギリスで料理を給仕するために使われていました。
ブックケース
本を収納するための棚です。
ブックケースが登場した当初は個人で本を所有することが少なかったため、図書館に大型のブックケースが備え付けられていました。
17世紀以降は一般向けに小型のブックケースが作られ、ガラス扉つきのオシャレなものもあります。
ドレッシングテーブル
ドレッサーとも呼ばれています。テーブルや収納付きのチェストに鏡がついたもので、現在の化粧台(鏡台)の役割をしています。
ヴィクトリア時代に需要が高まりました。
ワードローブ
ワードロープもヴィクトリア時代に流行り、帽子やコートをかける用途で家の入口に置かれました。
現在ではリメイクして板を取り付けて靴箱として使われることもあります。

アンティーク家具を住まいに取り入れることで日常的にエレガントな空間を創りだすことができます。
ヨーロッパでは家具を受け継ぐ伝統があり、アンティーク家具はオーク、ウォールナット、マホガニー、パインなどの上質な木で作られています。
住宅の建材で用いる自然素材に通ずるものがあります。
アンティークは少なくとも100年、なかには200年以上経過しているものもあり、残念ながら傷んでしまっているものやジャンク品が存在します。
以下で、買うときにチェックしておくべき項目を挙げます。

  • 椅子やテーブルに、がたつきがないか。
  • 収納は引き出しをスムーズに開閉できるか。
  • 金具や装飾に腐食、傷みがないか。
  • ガラス、鏡にヒビはないか。
  • 目立った汚れや穴がないか。

購入前に点検をしてもらい、壊れている箇所があってもレストア(修復)できることもあるので、事前に相談すると良いでしょう。

住居とアンティークが一体となって活きる生活空間は、優雅でいつまでも過ごしたくなるものです。
アンティーク家具を決める際は年代やテーマ性を絞る、色を揃える、材質を統一、実用性を重視するなど、それぞれの好みで選んだり、間取りを決めると良いでしょう。
ヨーロッパの美術様式は中世に始まり、ゴシック、バロック、ロココ、ヴィクトリアン、エドワーディアン、アール・ヌーヴォー、アール・デコなどの美術様式があります。
材質も複数種類あり、オーク材はくすんだ褐色で、木肌が荒いのが特徴です。
椅子や机の細い脚や彫刻に適しています。
ウォールナット材は硬く伸び縮みしないので、家具の素材にふさわしく、木目が美しいことで人気です。
マホガニー材は中南米から流入してきました。
赤褐色で重厚感があり、木目が細かく装飾を施しやすいことから高価になる傾向があります。
パイン材は北欧が主な産地で、節目が出やすく比較的近年まで好まれていませんでした。
木質が柔らかいため、カントリースタイルに適しています。
また、こうしたアンティーク家具に合わせて、蚤の市などで見つけたアンティークレース、陶磁器、小物などと合わせるとよりいっそう華やぎます。
時代の流れを感じたり、素材の一体感を見て楽しむなど、満足のいく「アンティーク(一点物)」を是非見つけてみてください。