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重要伝統的建造物群保存地区 熊川宿、小浜西組

先日、ヘリテージのメンバーで福井県の重伝建地区の熊川宿と小浜西組へ見学に行ってまいりました。
地元で保存活用に携わっておられる方々にご案内をいただき、地域の文化や歴史、それらが織りなす建物群の特徴等を詳細に渡りお聞きしたこと等をご紹介したいと思います。

・若狭町熊川宿
滋賀の朽木を超えて福井に入った県境にある最も利用された鯖街道で小浜と京都を最短で結ぶ若狭街道(R303)の旧街道に熊川宿があります。
全長 1.4kmの宿場町で 1996 年に伝建地区に指定され、現在は日本遺産プレミアムに指定されています。
この熊川宿は、江戸時代に物資流通の中継拠点として繁栄しました。
小浜から京へと鯖や木材を運ぶ街道の交通の要所として江戸時代から宿場町として栄え、今もその面影をのこす古い街並みが旧街道沿いに続いています。
山間に添った街道には、用水路が走り、日常の生活の活用に使われ、街道沿いの建物は江戸時代、明治、大正の各時代の伝統的な建物が軒を連ねて、歴史的な町並み景観を良好に伝えています。
この用水路の豊富な水は、江戸時代のこの地で荷役を担う牛たちも愛飲し休憩したと伝えられています。
その後、鉄道の発達により街道の利用が減りさびれてしまったとの事です。

現在この熊川宿まちづくり特別委員会の皆様が多様な活動により、この地区のまち並みが年々整備され美しくなっていること、そして空家対策にも重点を置かれてこの地域の活性化に尽力されています。

鯖街道は、他にも種々あり「鞍馬街道」や「周山街道」「栗柄越え」、そして琵琶湖の水運を利用した街道もありました。
今でも小浜でとれたサバを京へ運び加工されて造られた鯖寿司が、京名物であるのがその名残ですね。

・小浜西組地区
小浜は、日本海側に面して入江に囲まれた港で又、川の水運も利用できるという北国における北前船の重要な寄港地でもありました。
そして江戸時代に京極高次により小浜城も築城され、武家、商人が混在して住んでいた地域であり、そして北前船で運ばれた地域の商材を扱う商人たちや、船主、船頭たちで栄えた町でもあります。
小浜西組地区は、山麓沿いの丹後街道が貫通し、街道沿いに商家町、山麓には寺町、そして茶屋町が形成されています。
陸路でも京の丹後街道で通じた町で、又浄土宗、日蓮宗、臨済宗の寺(領地)が数多く残っている地区でもあります。
商家や茶屋町の建物を見てみると、江戸時代から明治、大正、昭和と各時代に建てられた町家形式の建物が数多く残っていて、道に面して狭い間口(奥行きは長く)軒が続く切妻造りの建物で平入で、通り庭があり、おくどさん、火袋、そしてミセ、ナカノマ、オクノマの座敷が続く平面となっています。
主屋の奥に付属屋があり、奥に土蔵があり、各戸も同じような区画で建物が建っていてそのしっくい塗の土蔵が並べて造られているのは、防火壁の意味合いもあるそうです。
又、京町家と同じく表にガッタリ(バッタリ床几)もあります。
茶屋町の花街の建物には、大塀造りの建物もあり、内部の意匠や技術は、京を意識した工匠の技があちこちに見られます。

この小浜西組の街並みを散策していると、朽ち果てたような建物はなく、古い町家の建物群の外観も木部は紅柄塗りを施されて、美しく整備されているのを目にします。
この地で 100 年続くⅯ建築さんのご案内で街歩きをしましたが、地区の多くの建物を改築され、又町家の新築もされていて、この風景を造り守っている人々が地域に根差して地道にお仕事をされていることに、感激しました。
私たちも同業の地域工務店として、地域に必要とされてそうありたいと想いつつ、帰路につきました。

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