住宅と家具について

住宅と家具について

住まいの中の家具(置家具)

住宅と家具には深い関わりがあります。
時代、地域によって意匠が変移してきた住宅と家具ですが、時代ごとに大別するならば古代・中世・近世・近代に分けられます。
古代は主に古墳時代から平安時代の期間を指し、建築の在り方が唐風から和風へ移り変わりました。
奈良時代までの家具は置家具が主流で建物と独立していましたが、平安末期になると寝殿造の建物が主流となり家具と建物の一体化が徐々に見られるようになります。
住まいの在り方は寝床を中心とした建物から公共性も兼ね合わせた建造物へと徐々に変化します。
古代に置かれていた家具には屏障具(へいしょうぐ)の帳台、障子、衝立障子、柔障(ぜんじょう)、御簾(みす)、屏風のほかに敷物の蓆(むしろ)、畳、毯などがあります。
寝台、座具の座臥具にはあぐら、御床(ごしょう)、円座が用いられました。
机は几案(きあん)・案と呼ばれました。
食事用の台や書机、供物台として用いられ、のちの台所の名称の由来となります。
照明具には燈台、灯篭を使って、灯りをともしました。
鎌倉時代から室町時代にかけて中世では家具の建築化が進みます。
住まいの造りが細分化され、用途に応じた部屋が作られるようになります。
そのため、仕切りとして用いられてきた屏障具の必要性がなくなり、襖や灯り障子が用いられます。
家具は建物と一体化した建付けになり、違い棚や納戸構などが見られるようになりました。
その他に机と座具は曲録(きょくろく)、出文机(だしふつくえ)などが使われるようになります。
中世は座敷飾りを置くようになった時代でもあり、茶の湯と生け花の普及によって絵画や花瓶、道具類が観賞用の家具として人気になりました。
近世の戦国時代から江戸時代は和風建築の意匠が確立される時代です。
書院造や茶室、民家など日本ならではの意匠がうかがわれる建築が特徴です。
豪華絢爛な書院造と質素な茶室は対照的ですが、江戸時代には書院造と茶室のあり方を取り入れた数寄屋風の住宅が広まります。
庶民の住宅を総称して民家と呼び、地域ごとに特色のある住まいづくりが行われました。
建付けの家具は実用性に加えてデザイン性も重視され、細部までこだわった遊び心のある室内意匠が流行りました。
照明具には提灯、行灯、雪洞(ぼんぼり)が用いられるようになり、暖房具として火鉢、炬燵、囲炉裏が使われました。
古代・中世・近世では中国大陸からの文化の影響を受けながら和風の住まいづくりが実践されました。
注目したい時代は家具と建物の一体化が行われた中世です。
独立していた家具が建築に取り込まれ、建付け家具が増えます。
日本の家具の特徴は造り付けが多く、襖、障子、棚、押入れ、畳、下駄箱などが建物に初めから備え付けられています。
座敷に座る習慣がある日本ではできるだけ家具を置かないことが望ましく、理に適っていたと言えます。
現在もその形を踏襲し、建付け家具を住宅の一部として取り入れている住まいが多く見られます。
明治に入り近代以降は建物の洋風化が進み、置家具も西洋化しました。

住まいの中の和の家具、洋の家具

住まいに見られる和の家具、洋の家具にはどのようなものがあるでしょうか。
和の家具は時代とともに形を変えながら発展を遂げました。
中世以降に見られた家具と建物の一体化は現在も踏襲され、住宅設計の際に建付け家具を組み込むのが一般的です。
古くからの家具は耳慣れないものがほとんどですが、現在の家具と共通する部分が多くあります。
机・テーブル、椅子、照明、収納家具、仕切り家具の障子・襖などいずれも生活に欠かせないものばかりです。
洋の家具は明治時代以降に日本に入ってきました。
宮殿風の建物や洋館とともに流行りましたが、当初は宮中、宮家、貴族など上流家庭向けでした。
形式はバロック、ロココ、ルネサンス、ネオクラシシズムなど様々です。
使用されていた家具はほとんどヨーロッパからの輸入品でしたが、1900年頃から国産の洋家具が作られるようになります。
国内で家具生産が盛んになったことで家具業界にも変化が訪れ、一般住宅に置かれる家具も洋家具が増えました。
照明具には石油ランプ、ガス灯が用いられるようになりました。
建具には板ガラスを使った窓、ガラス戸、ガラス障子が増えましたが、ガラスは輸入製品が中心でした。
窓にはカーテンが付けられ、多種多様で美しい織物が使われました。
暖房具はストーブ、暖炉の導入が進みます。
都心部を中心とした中流家庭以上に洋家具が普及しましたが、現在のような家具事情になったのは第二次世界大戦後です。
経済成長期以降、洋風住宅が一般的になり洋家具の需要が増えました。
国内で洋家具の工業生産化が進み、安価で量産できるようになったことから、一般家庭にも洋家具が定着するようになりました。
その風潮は今も続き、テーブル、いす、ベッドなどのインテリアはどの家庭でも見られます。
和と洋の家具は大まかな時代ごとに流行したインテリアをまとめることができますが、和洋折衷の家具も存在します。
数寄屋造り風の民家や古民家、和室では和風・和洋折衷の家具が好まれる傾向があります。

松本民芸家具

松本民芸家具は長野県松本市にある家具メーカーです。
昭和19年に前身である中央鋼材工業が設立されました。
当時はちょうど戦後にあたる時代で中央鋼材工業では復興住宅の建築や建具の製造を行っていました。
創業者の一人である池田三四郎は柳宗悦の民芸運動の影響を受けて、地元松本での民芸家具づくりに励みます。
これが松本民芸家具の始まりとなり、伝統的なスタイルを活かした家具づくりが行われました。
松本民芸家具の特徴は木材にミズメザクラを使用していることです。
ミズメザクラは高山地帯に生息する樹木で現在は貴重な素材です。
非常に硬く加工が難しい素材ですが、強度があり頑丈です。
昔ながらのラッカー仕上げを続けていることも特徴です。
ラッカー仕上げを行うことで修理しやすく、家具を長く使えます。
光沢感のある深みのあるブラウンが美しい松本家具は現在も根強い人気をもって愛用され続けています。

ジョージ・ナカシマの家具

1905年にジョージ・ナカシマは日系2世としてアメリカで生まれました。
ジョージ・ナカシマはシアトルで育ち、ワシントン大学とハーバード大学大学院を卒業後建築の道へ進みます。
しばらくアメリカを拠点としていましたが、帝国ホテルの建設をきっかけに日本へ来日し、
アントニン・レーモンド建築事務所の東京事務所に所属することになりました。
この事務所では、同輩に前川國男や吉村順三等が在籍していました。
事務所に所属後は、個人的に建築の現場監督や海外視察で日本と海外を行き来していましたが、
あることから当時の建築の在り方に失望し、建築の道から遠ざかることになります。
その直後に戦争の影響でジョージ・ナカシマは日系人として強制収容されました。
収容先でジョージ・ナカシマは日本人の大工と知り合い、その木工技術を学んで家具づくりの道を切り開きました。
そしてその恩師であるアントニン・レーモンドの事務所の近くのニュー・ホープで家具作りを始めました。
デザインから製作まで全ての工程にこだわり、木の美しさを活かした家具が作られるようになります。
手掛けた家具はテーブル・デスク、チェア、ランプ、キャビネットなど多岐にわたり、数々のユニークな作品が生み出されました。
ジョージ・ナカシマが作る家具の特徴は木の性質を生かしたデザインです。
木目や割れなど木が本来持つ個性をそのまま美に高め、日本の木組技術を取り入れました。
家具づくりはネジや接着剤などを用いて固定されることが一般的ですが、ジョージ・ナカシマの作る家具には接手と組手が使われています。
ジョージ・ナカシマは1990年に亡くなりましたが、ナカシマ・スタイルと呼ばれる独自の意匠は今もニューホープと日本の香川県で受け継がれています。
香川県高松市にはジョージ・ナカシマ記念館があり、同市の桜製作所ではジョージ・ナカシマデザインの正規家具を製作しています。
そしてニューホープでは、現在は娘さんのミラさんが後をついで職人たちとともに工房を切り盛りされています。

又、京都の桂教会聖堂はジョージ・ナカシマが設計した現存する建物です。

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