ノートルダム寺院と首里城の火災と復元計画

ノートルダム寺院と首里城の火災と復元計画

住宅や建造物にとって、防火・耐火対策は重要です。
特に数百年・数千年とその場所に残り続けるような重要な建築物では、
一般的な住宅よりも厳格で精密な計画が練られていることでしょう。

今回は、2019年に起こったノートルダム寺院と首里城についての火災と、
それぞれの復元計画についてご紹介します。

ノートルダム寺院と首里城の火災

2019年4月には、フランスにあるノートルダム大聖堂に火災が起こりました。
木造である屋根部分はほぼ全焼しましたが、元の形を保った部分もあります。
内部に保管されていた文化財は、ルーブル美術館に保管されることになりました。

2019年10月には、沖縄県にある観光名所の首里城に火災が発生したニュースについて、
衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。
世界遺産である首里城は、ノートルダム寺院と同様に建物ばかりではなく、
重要な文化財についても約400点も消失してしまいました。

このような被害を防ぐために、私たちはどのように対応すれば良いのでしょうか。

首里城の復元

実は、首里城は以前にも消失してしまったことがあります。
1945年に起こった戦争の影響で、首里城をはじめとして玉御陵、円覚寺、弁財天堂などが消滅しました。
今回火災被害が起こってしまった首里城は、戦争で廃墟となってしまった場所に、
戦後まもなく復元されたものでした。

戦時中にバラバラになってしまった資料や人員をかき集めて、
1958年の10月にようやく一部を復元できたのです。
その後、沖縄県民にとっての一大プロジェクトとなった首里城復元は、
1992年にようやく主要施設が完成して一般公開されるようになり、
2000年には世界遺産として登録が行われ、観光客が訪れる人気スポットになりました。

今回の火災後の復元は

首里城火災の復元については、戦後に復元した資料を活用する方針になっています。
ただし、建材として使用していたイヌマキの調達に関しては、
前回の復元時にも確保が困難であったため、今回はさらに困難になることが予想されています。
宮大工などの技術者を確保するにも、現在はその伝統が失われている可能性が高く、
再建に向けてはさらなる年数や費用が必要になることでしょう。

沖縄県民の夢と希望が詰まった象徴でもある首里城の復権は、
元々あった形を再現するような形で修復することが期待されています。

ノートルダム寺院の復元計画について

日本の首里城とは異なり、
ノートルダム寺院の復元に関しては様々な案が出ているようです。
元々の形に再現するのではなく、現代の知識や技術を用いることで、
これまで以上に素晴らしい状態での再建を行おうというのがノートルダム寺院の基本的な復元計画です。

再建案には国際的なコンペを実施する予定で、すでに多くの建築家がデザイン案を提出しています。
再生をテーマに、太陽光発電の機能を搭載した屋根や、近代的な換気システム、
建物内では自然光を用いた果物や野菜の栽培が計画されています。

各時代の増改築を経て現在の姿になったノートルダム寺院の復元は、
最新機能を用いながらも現代社会に合わせた建物になることでしょう。

このように、伝統的なものを将来の世代へとそのまま引き継いでいくのか、
それとも現代社会にあわせて変化させていくのかという点については、
様々な分野で比較検討されている普遍的なテーマであると言えます。

最新技術に関しては、今現在は比較的手軽に入手しやすくても、
将来的には入手できなくなる可能性もありますし、
昔の形をそのまま再現しようとした時には、
現実的に入手できる知識や技術に限りがあるのかもしれません。
どちらの方法を用いるにせよ、それを時代に適したものに変更するような技術や経験が必要になるはずです。

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最終更新日:2020年10月13日投稿日:2020年2月6日