京都市右京区「鳥居本の家・K邸新築工事」
今回は工場での構造材の加工についてお伝えします。
手斧で「なぐり加工」した地松の小屋梁
模様がきれいに出ています
こちらは構造材ではありませんが、玄関の出窓天板部分に使用する材料
無垢の桧一枚板
K邸では空間に各種銘木が使用する予定です。
磨き丸太の柱、地松の小屋梁はリビングで使われます。
世界遺産は2018年時点で1092件の登録があります。
その内訳は文化遺産が845件、自然遺産が209件、複合遺産が38件です。
日本の世界遺産登録数は22件です。
世界遺産は遺跡や自然地形、寺院を中心に登録が進められているイメージがありますが、中には住宅も含まれています。
世界遺産に登録された住宅はなんと日本にもあります。
白川郷五箇山の合掌造り集落です。
1995年に認定され、国内で6件目の世界遺産になります。
豪雪地帯で開発が遅れたことが幸いして旧式の建築が残っています。
合掌造りの名称は手と手を合わせて合掌しているような形に見えることが由来です。
飛騨地方の厳しい自然条件を生き抜くための知恵から生み出された建築で、スイスの山小屋に似ています。
家の高さの8割を屋根が占め、屋根は勾配が急な茅葺です。
降雪が多いことから雪や雪解け水を早く流し、日照によって効率的に屋根を乾かします。
世界遺産に登録されている建造物は歴史的価値を有しているだけにとどまりません。
建築の世界に多大な影響与えた建築家が手掛けた建物、住宅も世界遺産に登録されています。
アントニオ・ガウディは19~20世紀にかけて活躍した建築家です。
ガウディは1852年にスペインのカタルーニャで生まれました。
独創的で曲線と細かい装飾を取り入れたデザインと自然や生物の形を活かした建築が特徴的です。
ガウディの時代にはコンクリートが存在していましたが、敢えてレンガ造りを取り入れた点は他の建築家と異なります。
レンガ造りにはスペインの歴史と伝統が刻まれています。
レンガへのこだわりは最小の材料で最大の効果を生み出す構造表現主義の表れでもあります。
ポリクロミーもガウディらしさの1つです。
ガウディは建築を第一の造形美術とし、その素晴らしさは光によるもので、色は光の分解から生まれると提唱しました。
多彩色のタイルが取り入れられた建物は色鮮やかで個性的です。
後生になるとガウディはカトリック教徒であることを理由に宗教関連の建築にしか携わらなくなりましたが、数々の偉大な建築物を残し高い評価を受けています。
1984年にアントニオ・ガウディの作品群としてグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・ビセンス、カサ・バトリョ、コロニア・グエル教会地下聖堂が世界遺産に登録されました。
グエル邸、カサ・ミラ、カサ・ビセンスは住宅として建設され、カサ・ミラは今でも居住が可能です。
ル・コルビジェは近代建築の三大巨匠の一人です。
1887年にスイスで生まれてフランスを中心に活躍しました。
コルビジェという名前はペンネームで、本名はシャルル・エドゥアード・ジャンヌレ・グリと言います。
コルビジェは美術学校に通い芸術の道へ進む予定でしたが、在学中に才能を見抜かれ建築の世界に足を踏み入れることになります。
鉄筋コンクリートの先駆者であるオーギュスト・ペレのもとで建築を学び、見識を深めるために欧州の国々を旅行します。
コルビジェ建築の特徴は機能性を追求したモダニズム建築です。
建築の新しい五原則としてピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園を提言しました。
この五原則を実現した建築物がサヴォア邸です。
サヴォア邸はフランスのパリにあり、鉄筋コンクリート造のダイナミックな空間利用が特徴的な住宅です。
2016年にはル・コルビジェの作品群として7か国にある17の建物が世界遺産に登録されました。
東京上野にある国立西洋美術館もその一つです。
コルビジェは建築家として有名ですが、芸術家としても活躍し絵画と造形物を作品に残しています。
フランク・ロイド・ライトはル・コルビジェと同じく近代建築の三大巨匠の一人です。
ライトは1867年にアメリカで生まれ、栄華と零落を繰り返す波乱万丈な人生を送ります。
水平で飾り気のないデザインと奥行の深い高級感あふれる建築が特徴的です。
ライトが設計した代表的な建築物にグッゲンハイム美術館、ロビー邸、落水荘などがあります。
日本でも旧帝国ホテルとヨドコウ迎賓館、自由学園、旧林愛作邸の設計などを手掛けています。
この中で当時の様子が残っていて見学できる建物はヨドコウ迎賓館です。
ヨドコウ迎賓館は兵庫県芦屋市にある旧山邑家住宅を指します。
1900年代初頭に灘の酒造家である山村太左衛門の依頼を受けて設計されました。
当初旧山邑家住宅は避暑地として建設された別荘でしたが、設計から建設まで時間がかかりました。
ライトは途中で帰国したため、ライトの設計をもとに遠藤新と南信が建設を行いました。
旧山邑家住宅は1947年に建物の所有者が変わり、株式会社淀川製鋼所の社長宅として購入されて宅地と社員寮として利用されるようになります。
一時取り壊しの危機に見舞われましたが、1974年に国の重要文化財に指定されました。
重要文化財指定にはじめて登録された鉄筋コンクリート造の建物で、1989年にはヨドコウ迎賓館の愛称で一般公開になっています。
ヨドコウ迎賓館は今も改修工事が重ねられて綺麗な形で残っています。
ライトの作品は世界遺産に未登録ですが、滝の上に建つ美しい住宅・落水荘等これからの世界遺産登録の可能性に期待が膨らみます。
————————————————————————————————————
関連記事
世界遺産の住宅Ⅱ
世界遺産の住宅Ⅲ FLRの住宅
海外の町家建築(ベトナム・ホイアン世界遺産)
瓦は中国発祥で紀元前1100年頃の西周の時代に誕生しました。
日本に瓦が入ってきたのは飛鳥時代のことで、百済(朝鮮)から瓦の技術者が来日しました。
粘土から瓦を成形する方法と瓦窯の作り方、瓦の焼き方を習得し、日本でも瓦作りが始まりました。
奈良時代に入ると寺院、宮殿、役所に瓦が用いられるようになります。
聖武天皇が全国に国分寺を作るように命じたことから、瓦の需要も高まりました。
平安時代の瓦はやや衰退期に入ります。
主な原因は戦乱です。
山中に寺院を建立することが増えて瓦の持ち運びができないことや冷え込みの厳しい山の気候に瓦が適応できなかったことも影響しています。
鎌倉・室町時代になると瓦の生産が盛んになります。
仏教の影響で寺院が建立され、日本独自の瓦も作られるようになります。
江戸時代には一国一城令が出され、城の建設が行われなくなったことから瓦の使用が減少しました。
武家と商家の華美な生活を抑制するために瓦葺きも禁止されます。
瓦のかわりに茅葺と板葺が用いられた結果、火事が増えることになります。
瓦葺きの禁止により大火で住居が多数焼失し、犠牲者も数多く出ました。
1720年に徳川吉宗は禁止令を廃止し、瓦葺屋根を奨励します。
本瓦葺き(丸瓦と平瓦とを組合せた瓦の葺き方)は重厚で城郭や寺院向けの瓦であったため、平瓦と丸瓦を組み合わせて一体にした浅瓦が普及し始めました。
浅瓦は軽量で安く、民家にも瓦が用いられるようになります。
江戸時代中期の瓦屋根の普及により、全国的に瓦の製造が産業として確立されました。
明治時代に入ると文明開化により西洋建築が流入します。
西洋のコロニアルスタイルの住宅の屋根には、スペイン瓦等が使われています。
又、昭和に入ると瓦の生産技術が向上し、機械生産によって低コストで量産できるようになりました。
瓦は日本各地で作られています。
日本の三大瓦の産地として、三州、淡路、石州が挙げられます。
三州は愛知県の西三河地方の旧国名です。
良質な粘土が取れる地域で、粘土瓦の生産が日本一です。
1700年頃に三州瓦は広まりました。
三州瓦は耐火性と耐水性、強度に優れています。
寒さには弱く、寒冷な気候には向いていません。
淡路は瓦製造の歴史が長く、いぶし瓦の生産量は日本一を誇ります。
いぶし瓦とは粘土を焼いた後に灰色の炭素膜を吹き付けた瓦のことです。
銀白色の美しい瓦は建物の景観を引き立てます。
淡路瓦は三大瓦の中で最も低温で焼成されますが、耐火性と耐久性があります。
淡路では釉薬瓦と無釉薬瓦も作られます。
石州は島根県石見地方の旧国名です。
石州瓦は高温で焼成され、色が特徴的です。
瓦の原料の粘土に含まれる鉄分の量で赤みを帯びた色をしています。
硬度が高く丈夫で、寒さや塩害にも適応しています。
石州瓦は寒冷な地域や沿岸部で用いられます。
瓦は地域ごとの風土、気候、特色を活かして作られることが多く、瓦の窯元や製作工場が昔は全国各地にありました。
屋根の形状や大きさ、建物の景観、宗派、使用目的などによって使い分けられることもある瓦は地産地消で作られていました。
瓦が地産地消である理由は、瀬戸物で割れやすく重さがあるため長距離運搬に向いていないことも関係しています。
京都は千年以上もの間、都が置かれて寺院や役所が数多く存在したこともあり、瓦が数多く作られてきました。
794年に都として開かれた平安京には百万枚以上もの瓦が用いられたと言われてます。
当時の窯では西賀茂瓦窯が有名です。
数年前に見つかったの大山崎瓦窯でも平安京に瓦を提供していたと推測されています。
京都の瓦は京瓦と呼ばれ、700以上にも及ぶ種類があります。
一般的な地瓦に加えて鬼瓦と軒瓦が多く生産されています。
京都の街並みで見かけることがある鍾馗(しょうき)も屋根瓦の一つです。
鍾馗は厳めしい顔つきをしていますが、厄除け・魔除けとして親しまれています。
京都の瓦の歴史は6世紀頃から現在まで続いています。
窯元は代々引き継がれ、古い窯元は数百年になります。
明治以降新しく登場した窯元もあります。
京都に歴史的建造物としての意匠が感じられる建物が嵯峨から向日町あたりにかけての一帯に存在します。
屋根素材には茅葺と瓦葺が用いられ、庇部分が瓦葺になっています。
庇(ひさし)は窓や入り口などにつけられた小型の屋根です。
外観はほとんど茅葺屋根で、下部に瓦屋根が少し見られます。
屋根の形は入母屋造と切妻造が混在した珍しい形をしています。
入母屋造(いりもやづくり)は代表的な屋根形式で寄棟の上部を切妻にした形で、神社・仏閣などに多く見られます。
切妻造は2面で構成されたシンプルな形です。
江戸時代中期に作られた嵯峨地域の古民家の瓦は、下嵯峨の瓦職人である花野九兵衛が焼いたものです。
軒先の瓦の文様は嵯峨釈迦堂清凉寺の境内の中の薬師寺本堂、亀岡市の丹波国分寺の本堂、高雄梅ケ畑の吉川邸(旧家)の主屋に使用されたものに似ています。
花野九兵衛の焼いた瓦は亀岡市の大圓寺本堂や丹波国分寺の本堂にも使われています。
嵯峨の窯元で焼成された瓦は亀岡に運ばれて建築に使用されたと推測されます。
建築材を地産地消する文化の一例と呼べるでしょう。
————————————————————————————————————
関連記事
風土と建築・素材
建築素材・竹
建築素材・土(左官壁塗り、版築)
住まいの屋根素材について
住まいの素材・石