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建築協定について

建築協定とは

建築協定とは、街の環境を保全するために建築基準法の制限よりさらに厳しい基準が定められたものです。
建築基準法第69条には「市町村は、その区域の一部について、住宅地としての環境又は商店街としての利便を高度に維持増進する等建築物の利用を増進し、
かつ、土地の環境を改善するために必要と認める場合においては、土地の所有者及び借地権を有するものが当該土地について一定の区域を定め、
その区域内における建築物の敷地、位置、構造、用途、形態、意匠又は建築設備に関する基準についての協定を締結することができる旨を、条例で定めることができる。」
という内容が規定されています。

建築基準法は全国を対象に一般的で最低限度の基準を定めたものですが、建築協定の場合はさらに良好なまちづくりを目指して、
地域住民が自発的にルールを決めてお互いに守るように制度化したものです。
建築協定で決めることは、建築物の制限、協定が及ぶ区域、有効期限、建築協定違反があった場合の措置です。
建築協定を制定するには、準備委員会を発足し、土地の所有者等の住民が協定の内容に合意した上で認可申請書類を市町村などの自治体に提出します。
そして、認可申請が受理されたら、書類の縦覧・公聴会の公告が行われて、公述人選定をして公聴会が開かれます。
公聴会では建築協定の認可について直接意見を聴取し、その後特定行政庁の認可を受けて成立します。
建築協定は申請から認可まで数カ月ほどかかります。
また、協定の内容を更新する場合も同じ手順で行われます。

町並みを整える

建築協定があると建築基準法よりも厳しい制限が加わることになります。
敷地、位置、構造、用途、形態、意匠について基準を定めることで、町並みや住環境を整え、住みよいまちづくりをすることができます。
地域の課題や目標に応じて項目を細かく決めるため内容は様々ですが、それぞれの項目の具体例を挙げてみます。

敷地
敷地の最低面積、分割の禁止など
土地が細分化されると建物が密集してしまいます。
無秩序にスプロール化する開発が行われるのを防止し、プライバシーの保護、防災にもつながります。
位置
敷地境界線からの壁面後退など
プライバシーや日照権の保護になります。
構造
建築物の素材、耐火性など
火事、地震などの災害時に被害が広がらずに済みます。
用途
住居専用住宅に限るなど
用途を指定することによって住環境を整え、地域に調和したまちづくりができます。
形態
高さの制限、建ぺい率など
高い建物で断つことで陽当たりが悪くなったり、圧迫感が出てしまうことを予防できます。
意匠
建物の色、屋根の形状など
統一感がある町並みになります。
建築設備
水洗トイレにする、アマチュア無線アンテナの禁止など
町並みの景観や環境に配慮できます。

これらはほんの一例になりますが、地域の実情に即した協定内容が定められます。
厳しすぎると合意を得にくくなりますが、地域住民が主体となって建築協定を決めるとやりがいがあり、
実際に住んでいるからこそ必要なルールを真剣に考えることができます。
住民で意見を出し合って決めた協定を互いに守ることで、町並みを整えることにつながります。

町並みを整えてきた歴史(街道)

街道は場所と場所をつなぐ交通路として発達してきました。
人が道を行き交い、物資が運ばれるのは今も昔も変わりません。
日本の歴史上、交通路が整備され始めたのは、飛鳥時代の頃です。
天皇を中心とする統一政権の誕生により、地域間での交流が生まれました。
日本最古の官道である竹内街道や山辺の道、長尾街道が整備されました。
大化の改新後は律令制度が実施され、京の都を中心に各地方の国府を結ぶ五畿七道ができました。
中世に入ると仏教信仰が盛んとなり、寺院が数多く建立されて、寺院への交通路も整備されました。
鎌倉時代に入ると鎌倉にも政権が置かれ、それまで政権が一極化していた京と鎌倉を結ぶ通路が必要となり、鎌倉街道が整備されて宿が経済の中心地に発展しました。
室町時代も鎌倉時代と同様に街道は流通が盛んで都市として栄えました。

江戸時代になると、幕府が直接管理する五街道が整備されました。
政治色もありましたが、物品の運搬や流通のほか、一般庶民が旅行、観光などでも利用するようになりました。
そのため、街道には並木が植えられて美化が進み、街並みが整えられました。
近代以降になると国道や高速道路、鉄道が整備されるようになり、現在に至ります。
旧街道はその時代の統治機構や通路として機能するだけでなく、歴史上重要になった拠点でもあり、地域の文化や景観を形成する役割を担ってきました。

景観、街並みを意識して

建築協定には自然や歴史的な町並みを残したり、統一的な景観が保たれるほか、地域の特性を活かして観光客が増えるなどといったメリットがあります。
歴史的な街並みの保全、整備は行政が主体となって活動しても、その効果は十分ではありません。
住民がまちづくりに積極的に参加し、行政と一体となって協働することが大切です。
建築協定には有効期限があり、地域のあり方や環境の変化に応じて協定内容を見直すことができます。
有効期限は自由に定めることができますが、長すぎると状況の変化に対応できず、短すぎても協定の内容を活かすことができないため、有効期限は適度な期間を設けることが必要です。

京都市では有効期限を10年にしている地域が多く、自動更新したり、改定を行ったりしています。
建築協定を通じてまちづくりに参加することは、地域の歴史、特性を理解することや活性化にもつながります。
将来的には次世代に地域の景観、街並みが継承されることが期待されるでしょう。

京都市西京区『桂坂の家』お引渡し

防音室のガラスや玄関建具も入り、先日お引渡しをさせていただきました
実際にピアノも入り、より楽しい雰囲気のお住まいに
床材には無垢の杉板を使用しているので、これから御施主様がご自身でオイルを塗り込むご予定です
前回に引き続き、桂坂の家をご紹介します!!

【建物外観】
角波ガルバリウム鋼板の外壁に木製の目隠し格子がアクセントに
外観

【防音室】
ガラスはピアノの搬入後に取付ました 防音室内からもリビングが見えるので、解放感があります
ピアノ

防音性を高めるために二重にガラスが入っています
防音室

【2階サブリビング】
可動式収納のレイアウトの変化で、個室としても使えるサブリビング
床材は杉 天井部分はラワン 梁はベイマツです
サブリビング

【ロフト】
直接お布団を敷いて使えるように床はスノコになっています
格子部分は杉材です
ロフト2

ダクトは「そよ風」のものです
ロフト

【2階室内物干し】
外のバルコニーに繋がるように室内物干しスペースが配置されています
収納棚に跳ね上げ式のアイロン台がついており、洗濯 ⇒ 物干し ⇒ アイロン ⇒ 収納 まで一直線の動線でスムーズに行えます
室内物干し

【主寝室】
ベッドの位置に合わせてブラケット照明を
ブラケット

2間分の容量のある収納スペース
造作建具は全てラワン材です
寝室収納

1階、2階、ロフト、それぞれの空間に繋がりがあり、楽しい雰囲気のお住まいになっています
サブリビングは個室にもなるので、家族の成長に合わせて使えるよう工夫されています
無垢の木の質感と白のペイントでシンプルで心地よい空間になりました

京都市西京区『桂坂の家』完成見学会

先日、桂坂の家で完成見学会を行いました。
当日は、楽器演奏のための防音室を検討のお客様や、空気集熱ソーラーシステムそよ風に興味をお持ちのお客様にご来場いただきました。
設計士さんと家づくりのお話をしていただく良い機会になり、今後の住まいの計画の参考になれば嬉しく思います。
完成見学会の様子と合わせて、完成した「桂坂の家」の1階部分をご紹介します。
設計監理は フォルマ建築研究室さんです。

【完成見学会の様子】
ガラス張りの防音室(見学会の時はまだガラスは入っていません)
基礎コンクリート部分も防音に活かした設計
壁の厚さ等、詳しい説明をしていただいてます
防音室

大きな開口には木製建具が入っています
建具が壁に引き込まれ解放感があります 外からのいい風が入ってきます
大開口

それでは1階部分からご紹介します

【玄関】お客様が沢山来ても対応できる間口の広い玄関
ロールカーテンを設置すれば収納やシンクは隠すことが出来ます
土間の仕上げは墨モルタル
玄関土間

多目的流は汚れた衣類等をすぐに洗えるように
アウトドア用品等も収納できる可動棚も造作しています
多目的流しと棚

シューズボックスも間口いっぱいの大容量
天板はタモ集成材、扉はラワンです
SB

洋服等が収納できるハンガーパイプ付の収納
玄関CL

姿見もあります お客様はこちらからどうぞ
姿見

【家族用とお客様用に分かれた動線】
パントリー側は家族用の動線に パントリーは食器、食品の収納に
パントリー

棚の下の部分には重たいもの(飲み物・お米・お野菜等)を置けるように空けてあります
パントリー下

ホール側はお客様用の動線
デスクとマンガ用の本棚もあります
ホール

【リビングと吹抜け】
吹抜けでリビングと2階に繋がりがあります
リビング

程よい距離感で過ごせる吹抜けのたての空間
吹抜け

【キッチン】
同一線上にあるキッチンとパントリー
キッチン

キッチン後ろの棚は家電等の収納に、カウンター下にはダストボックスが納まるようになっています
カウンタ

見学会では動線や収納の多さにも興味を持っていただきました。
防音室を囲うように回遊できるプランなので、子供さんはくるくると楽しそうに過ごしておられました。
2階部分は次回お伝えします!!

京の茶の文化

茶の由来、歴史

お茶は身近に和を感じることができる、昔からの伝統的な日本文化の一つです。
お茶は海外からの旅行者にもグリーンティーの名称で人気があります。
しかし、喫茶は元々は日本古来の文化ではありません。
お茶は中国から伝わり飲まれるようになりました。

紀元前2700年頃に神農と呼ばれる農業の祖がお茶の葉を食べていたことが中国のお茶の起源です。
日本にお茶がもたらされたのは奈良・平安時代で、中国の先行した制度・文化を学ぶために送られた遣唐使や留学僧が日本にお茶を飲む習慣を持ち帰りました。
平安初期の「日本後記」に日本で初めてお茶に関する記述が残っていて、当時お茶は僧侶、貴族階級にしか飲めない貴重品でした。
その後、お茶を日本に知らしめたのが栄西という僧侶です。
栄西は禅宗の一派である臨済宗の開祖で、禅宗を学ぶために宋に二度渡りました。
禅宗はお茶と密接な関わりがあり、禅院で飲茶する習慣があります。
栄西が修行地の中国天台山の近くの茶所・杭州の龍井茶(ロンジン茶)の木を持ち帰り高山寺に植えたと伝えられています。
また、栄西が記した「喫茶養生記」には、「茶は末代養生の仙薬なり、人倫英齢の妙術なり」と記されていて、
お茶の苦みは心臓に良く、お茶は長寿の薬とも考えられていました。
禅宗の宗教的な部分と合わせて、お茶には健康面での効能があることが伝わり、お茶が注目されるようになりました。

そして、京都にある寺院を中心にお茶が広まることになります。
鎌倉末期から南北朝時代には伊勢、伊賀、駿河、武蔵にもお茶が流入しました。
また、南北朝時代になると、お茶を飲み比べて産地を当てる闘茶が行われるようになり、お茶は室町時代、安土桃山時代以降も引き継がれます。
15世紀になると村田珠光の「侘茶」、千利休の「茶の湯」が浸透し、日本らしいお茶の在り方が形成されました。
茶の湯は京都を中心に発展しましたが、その後新興の都市である堺へも広まり、経済活動と密接に結びつくようになりました。
江戸時代になると、茶の湯は儀礼的な要素を持ち、武家社会には欠かせない存在となりました。
織田信長や名だたる戦国武将らもお茶を愛飲するようになります。
このあたりから一般庶民にもお茶が浸透し始めます。

京の茶どころと歴史

京の茶どころといえば、栂尾(とがのお)と宇治が有名です。
栂尾は日本最古の茶園が開かれた場所と言われています。
栂尾は川霧が深くお茶栽培に最適な地で、良質なお茶が取れました。
そのことから栂尾のお茶は「本茶」と呼ばれています。
ちなみに京都のお茶どころははじめに挙げた宇治のほかに、仁和寺、醍醐、茶室、般若寺、神尾寺があり、栂尾に次ぐ産地とされました。
当時天下一のお茶は栂尾のお茶で、その他のお茶は「非茶」と呼ばれていました。

さて、もう一つの京の茶どころである宇治は水はけが良く、南向きの斜面という地理的な条件が整い、交通の便が良い立地です。
菜種油の粕などを用いた良質な肥料が手に入ることもあり、13世紀ごろから宇治は急速に発展しました。
宇治では「覆下栽培」と呼ばれる独自の製法でお茶を栽培し、お茶の木に日光が直接当たらないように葦や藁で覆いをかぶせて、旨みのあるお茶を作りました。
非茶として扱われてきた宇治茶ですが、八代将軍足利義政の代になり、宇治茶が天下一のお茶と称されるようになります。
毎年10月になると、京でお茶に深いかかわりがある千利休、栄西、明恵上人を讃え、宇治茶の隆盛を願う宇治茶まつりが行われています。

喫茶の文化(高山寺、建仁寺と栄西)

お茶が広まるきっかけとなった栄西は1205年に建仁寺を建立しました。
「茶祖」とも呼ばれる栄西は、禅宗の一派である臨済宗の教えを広めます。
その禅宗には「喫茶去」という言葉があり、この言葉には「お茶をどうぞ召し上がれ」という意味があります。
禅宗のお寺では身分や性別、年齢などに関係なくお寺に訪れる人々にお茶を出し、無分別の境地の悟りを説きました。
当時、栄西と親交があった華厳宗の僧侶、明恵上人は栄西から禅の教えを受けていました。

この明恵上人は、1206年に後鳥羽院から栂尾の地を賜り、現在世界文化遺産になっている高山寺を開いた人です。
明恵上人は栄西の影響を受けて日本で最古の茶園を開き、茶を奨励しました。
その後禅宗寺院を中心に京都に茶園が広まりました。
京の茶どころでもある宇治に茶園を開いたのも明恵上人です。
また、栄西は抹茶法を招来して将軍源実朝にお茶を出したことも全国に喫茶が広まったきっかけとなっています。
現在でも茶祖栄西の誕生日4月20日になると建仁寺では「四頭の茶会」が開かれます。

茶の文化と建築

日本でお茶が広まり、一般的な場でお茶がふるまわれるようになったのは室町時代のことでした。
当時は「会所」と呼ばれる連歌の会などが催される交友の場で嗜まれていました。
その後、茶事の主催者が客を招き、お茶を出すための場として茶室が設けられました。
茶室は大きく分けて書院風と草庵風があります。
書院風は格式高く、荘厳な造りで座敷、床の間、違い棚、付書院、帳台構えが備わっています。
茶人たちには形式だった書院造の意匠があまり好まれませんでした。
草庵風は書院造の在り方を極力取り入れず、簡素で慎ましい造りです。
竹や土壁などを用いた素朴で狭い空間で、しっかりと亭主と客が向きあえるようになっています。
千利休、古田織部、小堀遠州などもそれぞれ茶室を造りましたが、統一性はなく多様な造りになっています。

茶の文化は住宅建築にも影響を与え、茶室風という意味をもつ数寄屋造りと呼ばれる様式が生まれました。
数寄屋とは和歌、茶の湯、生け花などを嗜む場のことです。
華美な装飾を好まず、質素で洗練された茶人の精神性が強く現れ出た造りになっています。

お盆休みのお知らせ

平素は各別の御愛顧いただき誠にありがとうございます。
誠に勝手ながら弊社のお盆休みを下記のとおりとさせていただきます。
大変ご迷惑をおかけ致しますが何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。

お盆休み期間
平成30年8月15日(水)~平成30年8月19日(日)

尚お休み期間中に頂戴しましたお問い合わせなどは8月20日(月)以降に随時お返事させていただきます。