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京都市西京区 秋元眼科クリニック 6月1日オープンです

京都市西京区の秋元眼科クリニックの工事が完了しました。
先日引渡をさせて頂き、6月1日にオープンします。

外部の屋根格子に京都市内産(京北)の杉材を使用しています。

内部も暖かみを感じる木の質感あふれる内装が施されています。

こちらは塔本研作建築設計事務所の設計です。

外観

受付

部屋

京都景観法

京都景観法の制定された背景

国内外を問わず、人気の観光地として知られている京都。
その人気の理由は歴史的文化が色濃く残る町並み、建造物、そしてそれらを育んできた魅力ある京の文化を感じる事ができるからではないでしょうか。
そんな京都では「京都景観法」が平成16年に公布されました。
これは日本伝統の景観美を守るため、そして日本の都市や農山漁村などにおける良好な景観の形成を促進するためです。
このように京都や奈良など、歴史的文化財が多く残された地域では、景観を重視した街づくりがおこなわれています。

京都は1200年を超える歴史ある地域です。
数多くの歴史的資産や、日本情緒溢れる町並み、そして豊かな自然。
それらが融合することで京都らしい独特の景観を創り出しています。
自然的景観や重要な歴史的景観に影響を与えかねない事例が発生していることを踏まえ
それを壊してはならないと、京都市が平成17年12月に京都景観計画を策定しました。

京都景観法の制定内容(建築物の高さ規定と看板の規定)

京都の景観を守るため平成17年12月に制定された京都景観法は、平成19年に大幅改正されました。
市を21地域に分け、規制区域ごとに看板の大きさや色などをこと細かく規制しました。
また市内全域で屋上広告や点滅式照明のついた広告を禁止しています。

京都市では、屋外広告物を景観をかたちづくる重要な要素とし、屋外広告物を表示する際に市長の許可を義務付けています。
全所区的な企業の広告物であっても、京都にふさわしいデザインに変えるよう指導しています。
そして建築物の高さやデザインも規制されています。
10m、12m、15m、20m、25m、31mと6段階に設定し、それぞれの市街地の特性に応じて、建物の高さを規制しています。
なぜ建物の高さまで規制するのかというと、歴史的な県庁物や京町家との調和を図るため、隣合う建物同士の高さの調整を図るためです。

京都では比較的広い範囲で建物の高さを制定し、美しい町並みを保っています。
建物のデザインに関しても、それぞれの地域の特性に合わせたデザイン基準を定め、京都の景観の保全・形成を図っています。

京都景観法の影響

京都景観法により、建物の高さやデザイン、看板や広告物に関しても規定を設けました。
景観に対する京都府民の意識や関心が高まり、自分達の住む街を守ろうという意識が強くなりました。
京都ではこれまで高度地区制度などを活用し、市街地の大半で建物の高さを規制してきました。

しかし、建築基準法の規制緩和を背景に、高層建築物の建設が進みました。
このままでは京都らしい景観が破壊されるとの危機感から、京都景観法を制定しました。
そんな京都景観法による影響として第一に挙げられるのが「地価相場の上昇」です。
京都景観法により、調和のとれた町並みになるにつれ、地価相場が上昇傾向にあります。
他にも京都景観法による影響があります。

【京都景観法の影響 プラス面】

  • 良好な景観が保全・形成される
  • 調和のとれた町並みが形成される
  • 日照・通風が良好になる
  • 圧迫感のある高層ビルや高い建物が建たない
  • 京都の景観や町並みが確保される
  • 観光収益の効果が期待される

【京都景観法の影響 マイナス面】

  • 建物建築の自由度の減少
  • 建築コストの増加
  • 地域の経済活動が制約される恐れがある

京都景観法その後

京都は日本でも独自の文化を築づいてきた地域です。
古都京都との代名詞があるように、さまざまな歴史的建造物や古い町並みが残されています。
それら歴史的な価値を持つものは美しく、日本人が心のよりどころとするものではないかと思います。
そんな京都の町並みを守るために制定された京都景観法により、市民の意識の向上とともにさらに美しい景観となっています。
京都に求められる美しい景観を残すことにより、これからも観光客が途絶えることはないでしょう。

京都を代表する建物「京町家」は、取り壊され年々減少する傾向にあります。
その理由は老朽化と新しい建物を建設するためです。

しかし、京都景観法が制定されからは、地域ぐるみで住民とともに京町家を守ろうとしています。
現在京町家を残すために京町家の解体の届出が義務づけされる等、又世界遺産を始めとする寺社等とその周辺の景観を保全するために
さらなる京都の景観を守る取組みがおこなわれています。

京町家と水屋と箪笥

京町家の収納は

京町家は元々京都の町人たちの住まいでした。
そのため、随所にさまざまな工夫がなされており、今でもその姿を見ることができます。
京町家の収納は、一般住宅とは違います。
昔の人々の知恵がたっぷり詰まった収納は、収納するだけのものでなく、家の一部であり家具のようなものです。

京町家を代表する収納が「箱階段」です。
箱階段は、階段箪笥とも呼ばれ、可動式のものや壁と一体になったものがあります。
階段としての機能、そして収納としての機能と2つを兼ね備えた箱階段は、まさに昔の人々の知恵から誕生したものです。
急勾配で、踏み板も狭いためちょっとしたスペースに作られていることが多いものです。
京町家の収納はもちろん箱階段だけではありません。

「水屋箪笥」もまた京町家独特の収納です。
水屋箪笥は京町家の食器棚のことです。
京町家の通り庭と呼ばれる土間の周辺に置かれていることが多く、無くてはならない存在です。
そのため、長い年月、大切に使われてきました。
これら箱階段や水屋箪笥は京町家になくてはならない大切な収納です。
京町家を訪れると、今でも箱階段や水屋箪笥が残されており、存在感を放っています。

水屋と箪笥(意匠、形等)

京町家に欠かせない意匠と言えばさまざまな物がありますが、その中でも代表的な意匠を持つ家具が「水屋箪笥」です。
水屋とは、茶事の用意をしたり、茶碗などを洗う「洗い場」のような場所で、茶室の横に設けられています。
京町家に暮らす人々にとって水屋も欠かすことのできなものです。
よく「水屋箪笥」と呼ばれていますが、これは京町家にある食器棚のことです。
水屋箪笥は京町家の意匠を表す家具で、昔からそこに住む人々が大切にしてきたものです。
背の高いものになると、上下2段に分離できる仕組みになっているなど、簡単に運べるようにとの知恵が詰まっています。

今でも京町家には水屋箪笥が残されていることが多いのですが、実際に京町家で使われていたものが販売されていることもあります。
和モダンな雰囲気の住宅によく似合う水屋箪笥は、空間が違っても存在感を放つ素晴らしいものです。
主に骨董品屋で販売されている事が多いのですが、決して安いものではありません。
ただ、実物を見たら決して高いとは思わないはずです。
希少な水屋箪笥は、今でも日本人の心を魅了する不思議な魅力があると思います。

長持(収納)桐箪笥(和服入)

長持(ながもち)とは、衣服や調度品などを入れる長方形の大きな箱のことです。
蓋が付いており、京町家では収納家具の一つとして利用されていました。
長櫃(ながびつ)と呼ばれる足のついた収納が変化したもので、昔は嫁入り道具の一つとされていました。
両端には金具が付いており、そこに長棹を通して運んでいました。

桐箪笥は和服を収納する箪笥のことで、その名の通り「桐」で作られています。
町人の住まいであった京町家には桐箪笥があり、大切に使われてきました。
桐箪笥は防湿効果、抗菌効果、保温効果といった効果の他、耐腐食性に優れており、大切な着物の収納場所に適しています。
現在も和服を多く持っていらっしゃる方は桐箪笥を好みます。
日本伝統の箪笥「桐箪笥」は、これからもデザインや形を変えて受け継がれていくものだと思います。
京都でも伝統工芸の一つとして桐箪笥が作り続けられています。
長持に至ってはあまり見られなくなってしまいましたが、京町家へ行くと和服をしまう収納として未だに利用されています。

京町家の住まい方と収納(季節の入替、建具、簾)

京町家は細長いその形から「うなぎの寝床」と呼ばれています。
京町家の多くは築100年~120年のもので、当時の人々の知恵と生活がたっぷり詰まった素晴らしいものです。
中からは外の様子が分かるのに、外からは目隠しになる機能的な「格子(こうし)」。
二階の風通しや採光のために作られた虫籠窓といった建具や、箱階段や水屋箪笥といった収納。
そして夏の日差しを和らげる簾、季節を感じられる坪庭など、快適な生活を送るための工夫が随所に見られます。
京町家では「住まいの衣替え」がおこなわれます。
つまり建具替えです。

季節の変わり目におこなわれる建具替えは、夏と冬の年2回が基本です。
夏用の建具(簾戸)、冬用の建具に変えることで、部屋の雰囲気が全く変わります。
冷暖房が無かった時代に、いかに快適に過ごすかに重点を置き、工夫をこらした結果、建具替えが考えられたようです。

又、夏には足触りのいい藤のむしろを敷いたりとかもしますね。
暑い夏、そして寒い冬を快適に過ごすための昔の人々の知恵は素晴らしいものですね。

数寄屋建築(お茶室)数寄屋住宅

数寄屋建築とは

数寄屋建築(すきやけんちく)とは、日本を代表する建築様式の一つです。
そもそも「数寄屋」とは茶室のことです。
数寄屋造りの茶室が出現したのは安土桃山時代。
当時の茶室は庭園に面して母屋とは別の「別棟」として造られました。

数寄屋建築とは、茶室風を取り入れた住宅様式です。
現代の数寄屋建築と昔のものとでは違いがありますが、千利休の代表される草庵風茶室などで
その初源を垣間見ることができます。

江戸時代になると数寄屋建築は大きな変化を見せました。
武士茶人により大胆な創意がなされ、江戸時代初期に50年かけて造営された桂離宮には安土桃山時代当初の手法が多く見られます。
最初は狭い茶室と言う空間から始まった数寄屋建築ですが、時代とともに広い空間でもその手法が見られるようになりました。
昔ながらの建築様式「数寄屋建築」を現代にも通じるよう、また住宅にも通じるデザイン性や考え方が取り入れられたものは「数寄屋造り」と呼ばれています。
今、和の趣を感じる「数寄屋造り」が人気となっています。

数寄屋建築の由来

茶室のことを「数寄屋(すきや)」と呼んでいました。
元々庭園に面した別棟の小さな茶室のことです。
基本的に四畳半以下のその茶室は、特別なものと認識されていました。
「数寄(すき)・数奇」とは和の文化である生け花や和歌、茶の湯など、風流を好むことです。
好みを外に出して表すことという解釈のほか、「数」が「寄る」との意から、さまざまな材料をあり合わせて建物をつくることと、数寄屋との名前の由来は二つの説があります。
安土桃山時代には小規模な茶座敷を「数寄屋」と呼んでいました。
茶人たちは豪華な装飾を嫌い、シンプルな数寄屋を好みました。
高価な材料や高度な技術を好まず、庶民が住宅に使うような粗末な材料を使い簡素に作られていました。
時代とともにその形が装飾性を増すなど変遷してきています。
現在残されている数寄屋建築の代表的な歴史的建造物が以下になります。

  • 桂離宮
  • 修学院離宮
  • 伏見稲荷大社御茶屋
  • 曼殊院書院
  • 臨春閣

数寄屋のエッセンスを住宅に

現在もなお注目されている数寄屋建築。
昔ながらの数寄屋建築を現代風にデザインし、住宅に取り入れたものを「数寄屋造り」「現代数寄屋」と呼んでいます。
これまでは主に商業施設などに採用されてきましたが、最近では和を表す住まいに数寄屋を取り入れる流れが目立つようになりました。
和室の床の間や天井、玄関の天井など住宅の随所に数寄屋造りを取り入れれば、和モダンな斬新な住宅が完成します。
基本的に洋風住宅であっても、数寄屋のエッセンスを取り入れることでどこか懐かしい和洋モダン住宅になるでしょう。

日本伝統の数寄屋を生かした和の住宅も素敵です。
品のある日本独自の建築技術である数寄屋は、日本人にとって非常に魅力的なものです。
豊かさと趣あふれた上質な住まいを実現できるに違いありません。

数寄屋住宅は

数寄屋住宅は、住む人の好みをいかし造られる住宅です。
選ばれた素材と伝統的な技術で建てられた数寄屋住宅は、奥ゆかしく品良く日本人の心のよりどころではないかと思われます。
伝統的な技術を守り伝える現代数寄屋は、和の様式をふまえたものとして住む人の心を和ましてくれます。
自然と共存する建物とその生活は、最近では外国人まで魅了しています。

実は伝統建築の中で、日本から誕生した真の日本伝統建築は数寄屋建築のみです。
他の建築様式は、日本で誕生したものではなく、中国や朝鮮半島から伝わったものを日本風にアレンジして完成したものです。 
日本では現在どちらかと言うと、モダンな様式で建てられる建築が増えています。
ただ、外国へ行ったときに日本を意識するように、和の魅力を知りその様式を取入れた住まいは、世代を超えて支持されています。