先月末に京都府内産の木材を使ったBTOハウスの上棟をしました。
主要構造材は京都府内産の杉・桧です。
この旗が京都府内産木材を使っている家の目印となっています。
京都府が認定した取扱事業体による
生産・加工・流通が行われた木材を使用した証です。

BTOハウスとは?
こちらのコラムもご参考にしてみて下さい。
年末恒例の「あかり作品展」竹内工務店1階の風ショールームで令和元年12月13日(金)~12月15日(日)13:00~18:00(最終日17:00まで)の日程で開催いたします。
会場では個性豊かなあかりの作品が展示されます。
お住まいの照明の演出などでご検討中の皆様、ご参考になるものがたくさんあります。ぜひぜひお時間ございましたらお立ち寄り下さい。
皆様のご来場おまちしております。
主催:Galleryキットハウス
場所:嵯峨・木のこゝろ「風」(竹内工務店1階 京都市右京区嵯峨釈迦堂門前瀬戸川町4-7)
日程:令和元年年12月13日(金)~15日(日)
開催時間:13:00~18:00(最終日~17:00)
お問合せ先:Galleryキットハウス TEL&FAX 06-6693-0656
現代人が日々の生活の中で、私たちの身の廻りの環境のことを考えることはあるでしょうか。
戦後の日本では、近代的な生活スタイルが急激に確立されたこともあり、
人々が意識しないうちに、少しずつ環境への負荷を増大させていました。
安くて使い勝手のよい物を利用することは、生活にとっては魅力的かもしれませんが、
果たして環境にとってはどのような影響があるのでしょうか。
ここ数年、世界中で脱プラスチック(脱プラ)の動きが加速しています。
プラスチックは基本的に自然分解がされない物質です。
海に流れ込んだプラスチックは紫外線などの外部の刺激によって
マイクロプラスチックとなって海洋中に漂ってしまいます。
これが小魚などを介して取り込まれることで、
最終的には私たち人間も含めた生態系全体への悪影響を与えてしまいます。
人工的に製造されたプラスチックを処理するためには、莫大な費用が必要です。
我が国では、特に人件費を削減する目的から、
プラスチックを始めとした各種廃棄物の処理を海外に輸出していました。
その量は年間で約150万トンとも言われています。
2017年12月には、主な輸出先であった中国が工業由来のプラスチックの輸入を停止しました。
その背景には、中国が経済成長し国内のゴミが増加したこと以外にも、
資源としてリサイクルしにくいプラスチックによって、
有害物質の焼却・不法投棄・海洋汚染といった深刻な環境問題が起こっていました。
もちろん、これらの問題点は中国以外の国でも発生していたため、
プラスチックの処理に関しては世界の環境問題として取り上げられることになりました。
2019年5月には、スイスのジュネーブにおいて国連環境計画会議(UNEP)が開催されました。
この会議で、「有機廃棄物の国境を超える移動およびその処分の規制に関するバーゼル条約」(いわゆるバーゼル条約)の改正案に、世界180カ国以上が合意しました。
この影響によって、日本が今後世界各国にプラスチック廃棄物を輸出することが難しくなりました。
今まで他国に処理を任せていた日本は、これから日本国内での脱プラ処理を考えていかなければならなくなったのです。
また世界で考えるだけでなく日本国内においても各都道府県での脱プラ処理をおこなっていくべきだといえます。
廃プラスチックを減らすためには、
「プラスチック以外の代替製品を利用する」、「廃棄物の量を減らす」というような取り組みが必要です。
大手企業では、「プラスチックの買い物袋を有料化する」、「ストローを廃止する」、
「パッケージを紙に変える」などの取り組みがおこなわれつつありますが、さらに幅広い取り組みが求められています。
プラスチックを使った製品は、「軽量で破損しにくい」、「加工が手軽」、「食品を効果的に保護できる」
等の理由から、特に食品産業で活用されています。
一部の製品に関しては「容器包装リサイクル法」によって再生処理事業としてリサイクルがおこなわれていますが、
持ち運びしやすいペットボトルやレジ袋、テイクアウト用の容器やストローなどは
ポイ捨てされる可能性も高く、環境への負担も高いと考えられています。
プラスチックの代替製品を活用するとともに、
これらの食品廃棄物のリサイクルを無駄なくおこなうことが、
これからの日本には必要とされるのではないでしょうか。
2017年11月には、廃プラスチックの処理対策として、環境省が緊急的な財政支援制度を創設しました。
廃プラスチックの国内処理対策としての政索ですが、
国や自治体に任せているばかりでは、これらの問題に対して対応できたとは言えません。
個人の意識を高めながら、各家庭において小さなことからでもできることをやっていくことが重要です。
日頃の行いでは「マイバッグを使用する」「紙やプラスチックを使ったダイレクトメールを断る」
などもできることのひとつです。
さらに大きなことになれば、家を建てることでも意識することができるのです。
木の家を考慮することや使われる素材をサスティナブルな物に変えるもプラスチックの利用を減らすことにつながります。
まず私たちが、よりよい環境づくりを考え意識をしながら行動、生活することから始めませんか。
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京都府愛宕郡の静市で国産材を使った平屋の住宅の内部工事の様子です。
内部は大工さんの工事による造作工事がほとんど終わり、
塗装や珪藻土塗りが始まりました。
国産の自然塗装を使って設計事務所様が作業されました。
木の素地の中にアクセントとして塗られています。
全体的に真壁の仕上げでさまざまな所で木材が現して見えてきます。
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朱印船貿易は戦国時代末から江戸時代初頭にかけて行われた貿易です。
貿易で海外渡航をするには幕府から発行された朱印状と呼ばれる許可証が必要とされました。
幕府は朱印状の発行費と貿易で出た利益の納付を得ることができました。
当時倭寇が出現したり密輸貿易が横行していたこともあり、貿易商人は幕府公認の貿易船と認められることで航海中に危険に晒されることが少なくなりました。
朱印船貿易は鎖国で海外との交易が禁止されるまで行われます。
貿易相手国はベトナム、タイ、フィリピン、カンボジア、台湾など東南アジア諸国が中心です。
日本の主な輸出品は銀と銅、漆器で、海外からは絹、生糸、砂糖などを輸入しました。
輸入品の中心である絹、生糸は中国産のものが有名ですが、朝鮮出兵が原因で日本は中国との国交が断絶していました。
そのため中国へ入国できず、東南アジア諸国で貿易を行うことになったのです。
朱印船貿易では多くの日本人が東南アジア諸国へ渡り、日本人街を形成しました。
日本人街が作られたのはマニラ、プノンペン、アユタヤ、ホイアンの4か所です。
朱印船貿易が行われていたのは400年以上前のことで、ほとんどの日本人街は消えてしまいましたが、ベトナムのホイアンに唯一の日本人街が残っています。
朱印船貿易で発行された朱印状の発行数のうちの約1/4はホイアン宛で、日本と親交が深い取引先であったことがうかがえます。
ホイアンはベトナム中部のクアンナム省の都市です。
中国風の民家が立ち並ぶ独特の雰囲気がある街で、その古い町並みは1999年に世界遺産に登録されました。
ホイアンはベトナムの人気観光地でもあります。
縁日のように賑やかなナイトマーケットや川沿いのエキゾチックな夜景はホイアンならではの風景です。
廣肇會舘(こうちょうかいかん)や陳祠堂、海のシルクロード博物館などの観光名所もあります。
海のシルクロード博物館では日本との交易で輸入された発掘品が展示されています。
ホイアンの西側の入口には少し変わった橋が架かっています。
1593年に日本人によって作られたと言われる日本橋です。
来遠橋(ライビエン)橋とも呼ばれています。
来遠橋の名称は論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」という一説が由来です。
日本橋は幅3m、長さ18mの木造の屋根付き橋で、中央が太鼓橋のように盛り上がっています。
橋の上には小さな寺院があり、航海の安全が祈願されていたそうです。
橋の内部は日本と中国の建築意匠が感じられる造りになっています。
橋は現在も通行でき、観光スポットになっています。
夕方から夜にかけて橋がライトアップされ、橋の下の川では灯篭が流されます。
朱印船貿易では日本人が頻繁に東南アジア諸国を訪れることで日本人街が形成されました。
日本人街は貿易拠点となり、現地に滞在する貿易商人も出てきます。
ホイアンの日本人街には約300人が住んでいたと言われています。
日本橋の東側にあるチャンフー通りから川沿いにかけて、京都の町家に似た建物が残っています。
朱印船貿易が行われていたのは約400年前のことで、当時の街並みと変わった部分もあります。
日本の鎖国によって朱印船貿易が行われなくなると、ホイアンは貿易拠点の役割を失い、日本人街には中国系の華僑が住むようになりました。
その結果、ホイアンの街並みは維持、発展を遂げることになります。
現在ホイアンに残る建造物の建築年代と建築意匠は実に様々です。
日本と中国の建築文化が混在したり、比較的新しい建物も見られます。
古くから残る伝統的な町家は日本にあるものとよく似ています。
建物の表側では商売が行われ、建物の奥を生活拠点にしていたことがうかがわれます。
そして間口が狭く奥行きが長くて、その間には中庭や奥庭が造られています。
まるで京町家そのものです。
ホイアンの街には朱印船貿易の名残で形成された日本人街、日本橋が残っています。
現地の観光名所となっている古民家フン・フンの家や陳祠堂、金勝號には日本の建築意匠や室内装飾が見られます。
ホイアンは日本文化と中国文化を継承しながら、独自の文化を発展させてきました。
食文化にも日本らしさが残っていて、街中には漢字を用いた看板を掲げた飲食店があります。
ホイアングルメにはカオラウという食べ物があります。
汁なしの米麺で日本の伊勢うどんが由来と言われています。
日本人が住んでいた跡地からは古伊万里の破片や仏具などが発見されています。
街の郊外には日本人墓地もあり、現地の人たちによって守られ続けています。
ホイアンに日本人が残した数々の文化、伝統は今も残り受け継がれています。
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